マルタ留学中にロックダウンと強制隔離になった話

今は全世界がコロナウイルスでパニックになっていると思います。かく云うわたしもその一人です。

もう鬱々とするから聞きたくない。と言う人もいるかもしれない。

備忘録として綴るだけなのでもし興味があったら読み進めてみて下さい。

わたしは2020.1.27(月)〜2020.3.20(金)までマルタ留学してその後は約2週間のヨーロッパ旅行に行くつもりでした。

しかしコロナウイルスの影響で2020.3.21(土)に日本に緊急帰国しました。
その時にマルタでロックダウン(都市封鎖)にあい強制隔離を受けたその日のことを綴ります。

▶︎2020.3.7(土)
マルタで初めてのコロナウイルス感染者が3人確認されました。感染者は北イタリア旅行から帰国した家族だったそうです。

▶︎2020.3.10(火)
マルタ⇆イタリア間でのフライト、シチリア島からのフェリー就航がしばらくの間運休となりました。
マルタは東京23区くらいしかない小さな国なので感染拡大のためにこういった措置が取られたのだと思います。

▶︎2020.3.11(水)

①イタリア、中国(香港を含む)、シンガポール、日本、イラン、韓国
から2月27日以降にマルタへ入国した人。

スペイン、ドイツ、フランス、スイス
から3月11日以降にマルタへ入国した人。

①②に該当する人は入国した日から14日間の自主隔離を必須とする。
これは法的措置となるため、もし規則を破った場合、罰金€1000。(約12万円)

このため、マルタ留学に来た日本人の子も隔離対象となりました。

マルタ留学に来て数日間なのに授業も受けれず他の人と接触も避けなくてはいけない為、別の部屋に隔離されることになったそうです。
(①②に該当する人と同じ部屋にいた人も隔離の対象になってしまうため)

この頃にはイタリア以外に、フランス、ドイツ、スペイン、スイスからの出入国制限がで始め、上記の国への直行便が欠航することが決まっていました。

わたしはマルタ留学が終わった後フランスに行くつもりだったので、このタイミングでそのフライトは欠航になったと連絡が来ました。留学が終わってから予定していたルートをどうしよう。

わたしだけではないのです。
この時期にフランスやイタリアやスペインやドイツに旅行を決めていた人は欠航になってしまっているから直行では行けないのです。

ヨーロッパなので規制がかかってない地域から経由して行こうと思えば行けるかもしれないが、日々情報が変わるのでヨーロッパ内旅行するのは凄く厳しくなりました。

▶︎2020.3.13(金)
この日は前から決めていた友達とトルコ旅行に出発しました。
マルタ留学中に行ける旅行はこれが最後だろうなと思いながら。
この時トルコは感染者が1人しか出ておらずトルコへの渡航には制限がありませんでした。
しかし行きの飛行機ではこの様な書類を書きました。
トルコに到着して空港のwifiを拾ってインターネットに接続出来ました。(マルタのSIMカードはトルコは使えません)

そしたらマルタの友達から連絡が。

「今日から23日まで学校が休校になります」

マルタのスーパーも結構混んでいて日持ちがするものは買い溜めが始まったそうです。

それと同時にマルタ政府からの発表でこの日より全世界から入国した人は14日間の強制隔離が決定したそうです。

わたしたちは混乱しました……
この4日間の旅行の後マルタに帰れるのか?そしてどこに隔離されるのか?
日々フライト情報も変わるので飛行機も飛ぶのかとかそんな気持ちでした。

初めてのことにただただ不安でしかなかった。

このままどうなってしまうんだろう。

日々情報が変わっていく中で、新しく正しい情報を仕入れなくてはいけない。

マルタから感染者が発見されて、たった1週間でロックダウンが決まりました。
海外の対応は早い。本当にそう思いました。

▶︎2020.3.14(土)

この日もトルコにいながらマルタの情報を調べていました。そしたら気になる内容が。

"マルタ入国後2週間は強制隔離だが、祖国に帰る場合はその期間を待たずに帰国出来る"という内容でした。


学校のインターンの方に連絡をして聞いてみたらそれで大丈夫とのことだ。強制隔離される場所は学校の寮とのことで学校には一度戻れるということを知って安心した。


この内容を確認し、マルタに帰ったら少し早いけど直接日本に帰ることを決意


マルタに留学に来ているのに学校が休校になり授業も受けれず友達にも会えず2週間隔離をして更に日本で隔離期間が必要になってしまうなら、早く帰りたいと思い決めました。


▶︎2020.3.16(月)


マルタに帰国するためイスタンブール新空港へ。イスタンブールの町でトルコ人と話をしていたら1日ずれていたらトルコから出るのも危うい様だったと。本当にギリギリでした。


機内ではまた書類を書きました。どこに滞在するか連絡先などを紙に書き、入国審査官にも同様のことを聞かれた。最後に空港出たところでサーモグラフィーによる検温。


マルタに到着したがバスには乗れないのでBOLT(マルタで主流の配車タクシー)を呼び学校寮まで帰りました。


久しぶりに友達にも会うことが出来ました。嬉しかった。

急いで友達に手紙を書きお土産を渡しました。一緒に生活したり授業を受けたり出掛けたり、日本にいたら出会えなかった子たち。

隔離が決まっていたわたしにはこれが最後の別れでした。寂しくて涙が出ました。


直接会いに行けない子もいたので共通の友達に渡してもらったりしました。


そしてわたしは部屋を移動しないといけなかったので、荷物をまとめました。こんなバタバタした最後なのが本当に本当に悲しかった。


レセプションに行き鍵を交換してもらい新しい部屋に移動しました。

部屋にはキッチン、トイレ、シャワー、エアコンも完備されていて暮らすのには問題はなく、むしろ快適な部屋でした。しかし部屋からは一歩も出ては行けないと。

強制隔離なので部屋から出たら1日につき罰金€3000。(値上がりました)

この日から強制隔離生活が始まりました。


長くなってしまったので続きます。

- journal intime -

旅の話。留学の話。立ち寄ったところ。 美味しかったもの。被写体活動について。

0コメント

  • 1000 / 1000